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2007-04-10

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 耳にするのはヒューヒューという風鳴り音で、朽ち果てた屍骸が声を発する。音階はもはや無視されていた。

「おど……ざん」

 イントネーションの狂った奇怪な呼び声。だが、どうしようもなく真摯な声。

 だから、領主は汗をだらだら流して、「ううう」と首を振り、「むむむ」と瞠目して、「おおお」と唸る。

 信じがたかった。棺の中の息子が震えている。死んだはずなのに、死んでいるはずなのに。

 だから、領主は懊悩する。その深さは苦難を歩む愛国の斜面をも勝るほどで。

 だが、生きている! とついに結論を下す。息子はまだ生きているのだ、と留保付きで了解する。すると、どうだろう。いまにも崩れそうな肉体で、事実、二の腕やら肩口の肉をボト、ボトとこぼす様に、領主はその胸一杯のいとおしさを感じていた。なぜなら……なぜならば! 寒さに震える幼子を思い出していたからだ。船を浮かべて川遊びをしていたとき、誤って川に落ちた我が子、危うくワニに食われそうになって、サーベル一本であの恐るべき顎を串刺しにして、救い出したときの、あの震える姿!

 領主は思わず涙ぐんだ。そうだ。あのとき、わしは老いの道を下りつつもまだ凛々しく、美しい妻は存命で、息子はなんと愛らしかったことか。幸せの絶頂にあった。恐怖と寒さで泣いてしがみつく我が子の背をさすってやったのだ! 華奢な背中。哀れな背中。これはあの時と同じじゃ! 同じなんじゃ!

「おどう……」

 土気色の手が弱弱しく伸びて、ひからびて細い指はかよわく宙を泳ぐ。

「おおお、わしはここじゃよ! ここにおるぞ! 息子よ! 可愛い我が子よおお!」

 そして、領主は我が子にひっしと抱きついた。肉が削げていようが、頬が失われて、歯茎と歯が露出していようが、かまわなかった。いまにも起き上がらんと欲する息子の意を汲み、抱き起こした。むしゃぶりつくように抱きしめられて、自らの座軸を得た領主の息子はガタガタ震える我が手で、ついに父を掴み、そして、 

「おどうざーーん」

 噛み付いた。ガブリと喉笛まっしぐらだった。領主は恍惚としていて、なにをされたか気付かない。しかし、ものすごい熱を首筋に感じている。一方、自らの本能に純粋な息子が言った。

「美ン味え!」

 かくしてゾンビ化したる若者は、己が貪欲の最初の対象を、――それを最初の吸血行為という意味で、「童貞を捨てた」というなら――父を選んだ。これをもって、19世紀最後の月、インド北部、その狂気の始まりとする。

 さて、領主は感動する者特有の鈍感さで、ようやく首筋の痛みとわが身から零れ滴る暖かさの正体に気付く。

 血! 血とな!?

 誰の、だ?

 もしかして……

 ――というか、

 そう、これは――

 ……わしの血かっ!?

「あわわわ、なななんじゃこりゃああ!」

 あらんかぎりの、その叫びは、実は外には届かない。喉笛を鋭く伸びた犬歯でえぐりぬかれ、その孔から湧き上がる血泡で「ゴボゴボ」言うばかりだ。叫びは自らの耳朶を打つばかり。領主は覆いかぶさるモノを見る。息子であるモノ。あるいは、今も息子であるモノ。であるならば、出てくる言葉は、一つ。

 なぜ、じゃ……?

 その言葉は、やはり声にならず、ただ息子の「ガボガボ」という血をすすり、肉を食らう音で遮られる。しかし、その声が何を言わんとしているかは父である領主には分かった。「ごめんね、ごめんよ、お父さん」と息子は言っていたのだ。不意に心が安らぐ感じ。

 ならば、許そう、と父は目を細めて、瞼が落ちるままに身を任せた。 

 はっと意識が起きたとき、地面に頬をつけていた。むっとする土の匂いがまず鼻をくすぐり、続いて、〝ものすごく美味そうな匂い〟が嗅覚の全域に拡がり、その感覚はあらゆる神経を侵犯する。腹がぎゅるるる、と鳴った。飢えているし、まず渇いている、と領主は思った。そういえば、城を出てから、メシ食ってないのぅ、と思い出す。両手をついて、起き上がろうとした。

 首が妙にかしぐ。かくん、と顎が胸に向かって落ちていく。寝違えたかのぅ? と領主はぼんやり考える。視界が鈍い。領主は問う。

「ここはどこじゃ?」

「ここはあの村ですよ。虎に襲われた村」と応える声がある。

 振り返れば、そこには、

「おお、息子よ!」

「お父さん! 起きたんだね!」

 領主の息子がいる。粗末な木椅子に腰掛けて、机に載った安蝋燭に浮かぶ顔は、満面の笑み。

「お前! なんじゃ、すっかり元通りじゃあないか!」

 そう。息子の顔立ちはすっかり回復していた。父は喜んだ。これぞ母なるインドの恩恵よ! とばかりに。

 しかし、しおらしくうなだれて息子だ。

「ごめんね、お父さん。僕、さっき、お父さんにかじりついちゃって」

「いいんじゃ、いいんじゃよ」

 鷹揚に笑ってみせる父は、不意に表情を曇らせて、

「それより、なんだか首の調子がおかしいんじゃが」

 というか、ワシはなんで生きておる? と息子に問う。すると、領主の息子が嬉しそうに説明する。

「ああ、それはですね。なんだかよく分からないけど、僕たちは生き返ったんですよ。でね、でね、お父さんは今、僕がかじっちゃった首がね、ちょっととれかけてるんだ」

「なんと。そいつは不思議じゃが、困ったの」

 と首を傾げる領主に、燭台を手にした領主の息子がにんまり笑った。

「だけど、大丈夫ですよ。お父さんもすぐに理解するだろうけど、僕、分かっちゃったんだ。僕たちはね、食えば治っちゃうんだ! どんな傷でもたちどころに、ほら!」

 と、余すところなく全身を照らして、

「全快してるでしょ? どこにも傷がない! 子供の頃、お尻にうけた矢傷も消えた! しかも、身体がものすごく調子いいんだ。最高にハッピーってわけです。歌って踊りたくなるぐらい! だから、食べれば大丈夫! 食は力なり、ってわけですよ! お父さん」

「なんと! で、何を?」

 何を食うんじゃ? そう問うより早く、息子がさらにニンマリ笑って、

「決まってるじゃないですか! 人間ですよ! 人間の血、人間の肉」

「なんななんと、息子よ、わしらは人間を食うというのか」

「あ、でも、骨は微妙ですね。ゴリゴリしてるから、歯が欠けちゃったし。まあ、すぐ生え変わるけど、とにかくかむのが大変。どちらかというと、オヤツ感覚かな。でも、味は保障します。これまで食べたどんな料理にも勝る素材にして、すでに調理。血は極上のスープ。目玉の踊り食いは最高の前菜。波打つ温かな肉は極上の魚肉。最高ですよ!」

「むむむむ」

 さすがに領主は困る。これまで領主は自らが必ずしも良君であったとは思っていない。むしろ、僭主であったとさえ自認している。領民をある程度のところ、食い物にしていたとは分かっている。勿論、カーストの範疇でだが。しかし、文字通り、『食い物』にするとは考えたことがなかった。「むむむ」。さすがに考え込む領主に、息子は、ゾンビの先輩が、

「お父さん。お父さん。考えてごらんなさい。我々は武士ですよ。武士というものは、命を奪うと定められた存在です。それはなぜか? 領民を守るためだったのでしょう。しかし、しかしです。それは人間の領主であれば、の話。では、僕たちは何でしょう」

「その、なんだろうな? 怪物、か? 死人未満、生者未満の化物か?」

「そう! ザッツライッ! 我々はもはや人間ではない! もはやひとつの不死者であり、ならば、人間の法はもはや要らない! それはつまりカーストももはやいらない。いわば、我々は輪廻をもはや乗り越えた! 我々は解脱したのですよ! お父さん!」

「おお! 解脱、とな!」

「解脱です!」

「だから、人間を食えると!」

「そうです!」

「ななななるほどぉっ! そう考えれば、得心がいったぞ。息子よ! わしは今日をもって領主を辞めるぞ!」

 と、親子のみに通じる得体の知れない対話を経て、元・領主が首をぶらんと振った。元・領主の息子は満足そうに微笑み、

「おめでとうございます! ようこそ、『我らの領域に』! さあ、祝杯を挙げましょう」

 と、どこからともなく取り出した真っ白なドクロを二つ両手でもって、片方を元・領主に手渡す。丸く小さなドクロはその頭頂部に溜まった液体、血で満たされていた。受け取るなり、元・領主はごくりと唾を飲み込んだ。それはまだ暖かく、なんとも芳醇に鼻を刺激し、圧倒的に美味そうだった。

「絞りたてです。さあ、ぐいいっと一息に!」

「おお! ぐいいっとな!」

「こうか!? ガボボボ」

「そうです! ゴボボボ」

 一気に飲み干すと、元・領主の息子がさらに付け加えて、

「お食事もまだですよね!? だったら、ほら!」

 と、燭台で家の隅、今まで影になっていた場所を照らす。

「おお!」

 そこは死屍累々たる有様。厳密には半生の人の群れ。打ち捨てられた吸血後の村人達だ。皆、弱りきっていて、身動き一つせず、ただ小さく呻くばかり。そこは食材の宝庫だった。少なくとも元・領主にはそう見えた。しかし、元・領主は眉根を寄せた。

「わしゃ、食いかけは、のう。保存食は味が落ちるのが相場なもの。もしやお前、村人全部、食ってしまったのか?」

 すると、ふふっと息子が笑って、

「まさか。そういうだろうと思って、新鮮な踊り食いがよろしければ、外の虎用の檻に閉じ込めています」

「ほほう、そいつはいい。……しかし、何だな。こうしてみると、何もかも虎サマサマというわけだな」

「然り。まさに虎サマサマですね!」

 わははは、と二人は笑いあった。笑いが尾を引く中、不意に元・領主。

「ならば、息子よ。城に戻る前に、その虎、我らが虎ドノを一つ拝んでいかんかな?」

 と、提案する。途端にぶるぶる震えて、息子。

「ええっ!? 森に入ってですか?」

「うむ、その通り」

「あいつはおっかないですよ!?」

 あの巨獣を思い出す。あの森の中で、銃など意に介さず、まっすぐに走って、まっすぐに砕く。問答無用の怪物。ぶるぶるぶるぶる。思い出すだに恐ろしい。

「や、やめときましょうよぉ」

 元・領主はいきなり不機嫌になる。これでもかつては勇猛で鳴らした男である。臆病者は我が子といえど、許しがたかった。

「いいや、わしは行くぞ。お前がついてこんのなら、それも結構! この、ヘタレめっ!」

「ヘ、ヘタレェ!?」 

「おお、ヘタレじゃ。ヘタレ以外の何者でもない! だいたいお前はいつだってそうじゃった。子供の頃から乗馬は尻がずれるからイヤだ、剣は痛いからイヤだ。銃がいい、あげくに――」

「分かりましたよ!」

 とっさに悲鳴じみた反論を上げた。これ以上は軍人がすたるし、恥ずかしい過去を根掘り葉掘り暴露されそうな気がしたからだ。

「分かりました。行きます。行きますよ! 道中案内は任せてください」

「よし! 決まった。ならば、メシじゃ、案内せい!」

「は、はい」

 こうして、二つの屍人が家を出ていく。

 彼らが出て行ったあと、家の隅に残された哀れな捕食者たち、食い散らかされた「残飯」どもが死んでまた蘇える。それは必定。そして、彼らは徘徊を始め、インド北部を冒す疫病として恐れられることも、だ。

 すると、間もなく、疫病を狩るモノが現れる。まるで惹かれあうように、二つの相反するモノたちが邂逅する。死者と生者が相対する。正と負が等しく無となる世の理のごとく、吸血鬼を狩るモノがやってくる。

すなわち、『波紋』使い。19世紀の終わりが近い。

(続)


※この回は実験的な意味合いもこめて、全体の構成や前後の脈絡に影響がない範囲で頻繁に文章を変更します。(07・04・14時点)